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マンションを買う・3 ~保険でもやもや~

住宅ローンを組むと、セットで実質生命保険に入ることになるらしい。
団体信用生命保険(だんしん…Dancin’ みたいで笑ってしまうが)とかいうので、返済中に死んだり、普通には収入を得るのに困難な障害を負ったりしたときに、返済を肩代わりしてくれるというわけだ。

くわえて出てきた「おまけ」として、がん・脳卒中・心筋梗塞の「三大疾病」にかかっただけで(死ななくてもってことだけど)返済が免除される「三大疾病特約」というのもあるらしい。
もちろん余分に保険料がかかるわけだけど。

じつは、親父が比較的若いときに胃がんをやってて、漠たる不安がある。
よっしゃ! かけるか! と思っていた。

が、いろいろいきさつがあって、ローンを組む金融担当のこれまた若い人がズバッとアドバイス。
「脳卒中・心筋梗塞だとだいたい死んじゃうことが多いですからね、かけない人の方が多いですよ」。
ガーン!
「それに生命保険と違うのは、あくまで残金の精算ですから。
ローンの返済始まってすぐにかかれば○○千万円の保険金が下りますけど、それからローンの終わりに行くにしたがって受けとれる保険金が少なくなっていくことになります」
ガーン、ガーン!

そ、それでもローンの返済がはじまってすぐにがんになれば丸々○○千万円浮いてラッキーでは…。

…ってちょっと待て!
「がんになってラッキー」なんて話があるのか、おい自分。
働くこと=収入を得るのが困難になるからこういう制度があるんだ。
一度かかればローンの返済の不安はなくなるかもしれないけど、ガンの転移・再発という文字通り命にかかわる不安をかかえて生きていくことになる。

この保険にまつわるもやもや感は何かといえば、不確定なファクターに自分の一生の大事をかけるという地に足の着いてない感だ。
もちろん「がんになれば、つらい。つらいからこそ、少しでもプラスの要素である保険金がほしい」とかいう考え方もあるだろう。
だけど、やっぱり自分の性にはあわない。
すでに生命保険にも入っているけれど、この際だから自分の生き方をとぎすませることにしよう。
「だんしん」はしょうがないにしても三大疾病特約には、さようなら。
入っている生命保険も思い切って整理することにしよう。
がんの不安があるなら健康な生活を意識して、いつまでも元気にローンを返しつづけることにしよう(ちょっと悲愴)。

自分自身を資本主義ギャンブルのかたにするのは、やーめた。

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マンションを買う・2 ~買うのは「建物」ではなくて…~

さあ、家・マンションの物件を探そう!…と不動産関係のWebページを見たり、不動産屋を訪ねたりする。

こちらのイメージは固かった。
「いま住んでるエリア」、「行政区はまたがない」。

だけど、どの不動産屋も多かれ少なかれその要望を否定しようとする。
「ご希望の間取りの物件がありまして」とか「ローンが組める価格帯で」とか…。
いわれるままに、ある程度は付き合って何軒かの物件に同行する。
そして確信する。
「この家に住んだときの生活全体のイメージがわかない」と。

妻さんと共通認識だったのは幸いだけど、「家を買う」ってのは俗な表現で、大事なのは「家を中心とした生活全体を買う」に等しいってこと。
行政区をまたいだ場合、保育園までの距離・時間はどれくらいになるのか、そもそも入れるのか。
休日に子どもたちはどこで遊ぶのか。
買い物はどこでするのか。
道は暗くないか。
周囲の年齢構成は?
行政との窓口になってくれる親切な議員はいるのか…。

まあ、聞けば不動産屋もある程度調べて答えてくれる。
「どこそこにスーパーがあります」とかいわれても、そのスーパーの品揃えはどの程度のものなのか、などなど新しい疑問がわいてくる。

自分の感覚としては、隣の駅だろうと1時間分向こうの駅だろうと、知らない土地という点において違いはない。
15分余計に電車に乗れば◇◇万円相場が安くなるな…と思っても、いざ保育園に入れなくて育休をとったりすればその収入減で◇◇万円は一瞬にして消えてしまうかもしれない。

悪いけれど、不動産屋にとってはその「商品」が売れるかどうかが問題なんであって、買った人がその「商品」をどう使うのかまで十分に心砕いてくれるわけじゃないのだろう。
不動産屋にかぎったことではないけれど。

たまたま今回出会った不動産屋のお兄さんは、「商品」の知識の豊富さと、「商品」それぞれに遠慮のない評価をくわえる正直さにおいて信頼のおける人だ。
こちらの狭いエリアでの絞りこみと、お兄さんの適切な(と現時点で思われる)アドバイスで、比較的スムーズに「これ」という物件に目星をつけることができた。

(つづく)

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マンションを買う・1 ~「子どものために」が出発点~

…ことにした、わが家も。

妻さんとはそもそも買うのか、一生賃貸で暮らすのか…から議論をはじめた。
自分としては、いまの2Kほどの部屋は子ども2人の4人で暮らすには手狭だよなあ…と思いつつ、いよいよとなると数十年に渡るローンに抵抗を感じた。
(ローンではなく一括払い!…ってのは無理な話で)

数十年に渡って、一定額の支払いと住む場所を決める契約…はっきりいって、結婚の約束よりはるかに現実的かつ重い。
いや、本来結婚には「込み」なのかと、いまごろになって気づく。
5月あたり特にそこんとこ悩んでて…。

でも、出発点の「子ども2人の4人で暮らす」の、特に子どものために力を合わせるってのは、妻に対して多少のことがあっても踏んばれる足がかりになる、とかみしめた。
先に何があるかはわからないけど、基本的にはその方向を歩むとして…いや歩む決意で、それなりの広さのところに引っ越すとしたら、月々の家賃より買った上での月々の支払いの方が低くて済みそうだ。(それなりの長期返済の前提だけど)
って感じで購入の方向へ…。

(つづく)

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ブルーノ・マーズ「Doo-Wops & Hooligans」

ドゥー・ワップス&フーリガンズ(生産限定スペシャル・プライス盤)

このアルバムにも収録されている「Talking To The Moon」のサビが、ここ最近頭の中をぐるぐる回っている。
この曲との出会いは「Songs For Japan」の収録曲だったこと。
「Songs…」の曲の多くがすでに知っていた曲だったこともあって「なんか『Now!』っぽいヒット曲の寄せ集めみたいだなぁ…」などと、つい斜めに構えて聞いていた中で、大切な人を失った悲しみを切々と歌うこの曲の歌詞にぐっと来てしまったのだ。
先の震災やその後の原発事故を通じて大切な人を失った人にせめて共感だけはしつづけたい。
この曲を聞くたびに。

きみがどこかにいってしまったのはわかってる
どこか遠くへ
でも取り戻したい
取り戻したいんだよ
近所の人たちは、ぼくがおかしくなったと思ってる
だけどわかっちゃいないよ
きみがぼくのすべてだったってことを
そう、きみはぼくのすべてだった

夜になって星が部屋を明るく照らしたら
ぼくは一人腰を下ろす
そして月にむかって話すんだ
きみに届くように
同時に自分自身にも語りかけてるんだ
って、一人で座ってるとフクロウみたいだな
月にむかって話してるしね

…(以上、勝手に訳)

そして同時期に再読した「星の王子さま」。
なぜ人は大切な人を失うと星や月にその面影を重ねるのだろう。
夜に押し寄せる孤独感・喪失感、こたえてはくれないがつねに受けとめてくれる美しい輝き、はかない人の命や人間関係を星や月の普遍性に託す…。
または、失ったその人への思いは自分だけの特別なもので、ほかのだれに話してもぜったいに理解できるわけがない、というつよい思いが人間ではない話し相手をもとめるのかもしれない。

いま保育園の帰りに息子と歩いていると「あ、お月さまだよ!」と得意げに教えてくれる。
そういえば去年旅行に出かけたとき、夕暮れに息子と散歩していると突然「ポケットにお星さま入ってるんだ」といいだし、ニヤリと笑った。
これはこたえてやらないといけない。
あらかじめ目だけで一番星を探しておいて、息子に「じゃ、お星さま1個ちょうだい」と声をかける。
息子が「ふり」で手のひらに載せてくれた星を「ふり」の投球モーションで空に投げ上げ、「ほら! 光った!」と一番星を指さす。
息子は大喜び。
「もっと!」とせがむのにこたえてくり返しているうちに、すっかり暗くなり満天の星空に。
最後はポケットの残りの星すべてを両手に大盛りにして、二人で紙吹雪のように投げ上げた。
星が降ってくるようだった。

暗い夜道をお互いを頼りにして歩いていると、月や星の輝きは信頼の象徴でもあり、幸せの脇役であるように思う。
当たり前のことだけれど、月や星が悲しみの対象になるかどうかはそれを見る人の気持ちしだいだ、やっぱり。
いま月や星に語りかけている人たちの中には、失った人への愛情とともに自身がこれからどう生きていくのかという切実な思いをもっている人もいるかもしれない。

折しも今日は七夕。
一刻も早くすべての人たちが月や星の美しさを純粋に味わえる日が来ますように。

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なんとも夏向きなミステリーなお話――高齢者行方不明問題

【高齢者行方不明問題での友人との会話がおもしろかったのでアレンジしつつ再現】

A「100歳超えてる人の行方がわかんないってどういうことですかねぇ?」

B「ねぇ。家族も心配して連絡するよね、普通」

A「こう言っちゃなんですけど、100歳超えてる人が病院にもかからずひっそり生きてるって考えにくいですよね?」

B「そりゃそうだよなあ。あえて確認すればほぼ死んでるってなるだろうね。最初の東京の最高齢男性んとこは年金の不正受給問題になってるじゃない?」

A「幽霊受給者(笑)」

B「『幽霊』がシャレになんないんだけど(笑。※まあ100歳超えてれば大往生ってことで笑い話にしていますが)」

A「年金が止まらないようにあえて確認しない、と」

B「全部とはいわないけど可能性高いと思うよ。病院や介護でお金かかってるんなら別だけど、元気だったけどポックリみたいな場合は、年金止まったら困るんじゃないの?」

A「それで不正受給はどうかと思いますけどねぇ」

B「でも息子・娘も70歳、80歳。年金生活でしょ? しかも配偶者は先に亡くなってたりして。リアルに『どうすんだ?』って話」

A「そうかぁ…。バレるまでそのままに、ってことになりかねませんね」

B「いまの年金じゃ死んだ親のスネでもかじらないとやってけない、と」

A「幽霊のスネかじり、ですか? 落語みたいですね」

二人「(笑)」

そういや、ドラマ「TRICK」にそんなエピソードあったな。

もちろん、こんな笑い話にしていいのか、って批判はあるでしょう。
まあ、二人とも「行方不明問題」は異常だと思ってるし、お年寄りをふくめすべての人に人間らしく人生をまっとうしてもらいたいという共通認識はある。

とくにこの問題、息子・娘に「お年寄りを大事にしてやれよ」って批判は、老老介護の問題同様、70歳、80歳の人相手にいうこと自体お年寄りいじめじゃないの?って。
国立姥捨て山といえる後期高齢者医療制度の問題然り、介護保険払ってんのに老人ホームに入れないとか――国家が先んじてるお年寄りいじめを止める、国民の側から止めさせることを、これを機会に真剣に考えなきゃ浮かばれないよというお話。

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SSRS のレポートでグループごとにページをリセットする

たまにはSEらしい投稿を。

ある案件で、Microsoft SQL Server 2008 Reporting Services (SSRS)をつかったレポート(帳票)でレコードを工場ごとにグループ化し、そのグループごとに改ページをしてページ数をリセットしたいという要求が発生。
つまり、A工場の帳票が1ページ、2ページとなったら、つづくB工場の帳票は3ページからではなくて1ページからはじまるようにしたい。

ちょちょいとググってみたところ、Report Builder に「Page Break」→「ResetPageNumber」で true / false が設定できるらしい。
…あれ? そんな設定項目あったっけ? とよくよく調べたら、最近リリースされたReport Builder 3.0 の機能らしい。
Report Builder 3.0 をダウンロード・インストールする。
おお、あったあった!!
で、修正したレポートをReporting Server に配置しようとしたところ、SQL Server 2008 の R2 でないとダメよ、みたいな。 orz
チェッ! …と Visual Studio 経由で配置できないかと何気に Reporting Services デザイナーでレポートを開こうとしたところ、開けない。
R2 用に変換しちゃったのね…。
もうこれは R2 にするしかないだろ、と、ローカルの SQL Server を R2 に更新。
時間かかりそうなんで、ほっといたまま帰宅。
…ここまで昨日。

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行列についての経済学(なんちゃって)

某、行列で有名になったドーナツ屋のことを Tweet した。
しかし、ぼくは基本的に行列が嫌い…というより、行列に甘んじた商売が嫌い。

まず第一に客は行列することで、その商品やサービスを過大評価しがち。

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アンフェアなスポーツ選手の起用

民主党が超有名スポーツ選手を7月の参議院選挙の比例代表候補に立てるという。
小沢幹事長いわく「非常に厳しい自己努力と自己規制、そして不断の努力」が推薦の理由の一つとか。

いまの選挙制度では、参院の比例代表で「非拘束名簿方式」というのがとられている。
基本的には政党選択の選挙だが、候補者個人の名前への投票が認められ、さらに当選ラインを超えて余った分は同じ党のほかの候補者に横流しできるというシステム。

わかりやすく定数2で3人の候補者が以下のように得票したとする。

○さん (A党)    200票
△さん(B党)    100票
□さん (A党)    50票

定数2なんだから、○さんと△さんが当選…と思ったら間違い。
「基本的には政党選択の選挙」なので、比べるべきはA党とB党。
で、ドント方式という計算があって、結局A党の○さんと□さんが当選するというわけ。
どう? どう?
「私は○さんが好きで『○さん』って投票したけど、□さんも当選!?」って思う人は多いはず。

この制度をつくったのは、森喜朗時代の自民党政権――ね、いかにも自分たちがピンチで起死回生の選挙制度をつくったってにおいがするでしょ?

さて、そのとき野党だった民主党はなんといっていたか――

「有名人を立候補させ、その得票を横流しして当選者を増やす方法。有権者の権利を侵害するおそれがある」「業界団体に手抜きせずに自民党の選挙応援をさせるという狙いも。これまで以上に公共事業をアメと鞭にした締め付け、脅しなどが横行するのは間違いなし」(2000年10月4日 民主党「日本の危機・民主主義の危機~与党が参議院の選挙制度を自分勝手に変えようとしています」より)

菅直人「阻止しなければならないのは非拘束名簿式による選挙制度の改悪。非拘束式にすると、間違いなく旧全国区のような金権・企業ぐるみ選挙が復活する」
藤井裕久(当時、自由党)「知名度のある候補者を選挙に出して…参院選で党勢を拡大するため。まったくの党利党略であり、絶対に阻止する」(2000年9月28日、JR新橋駅前での民主、自由、共産、社民4野党の共同街頭宣伝で)

岡田克也「個人を選んだのに結局、自民党に入れることになる」(2000年9月10日、NHK「日曜討論」で)

――こういうことをいっていた人たちが、最大限にその恩恵に預かろうとするって…。
まあ、前回参院選でもやってたんだけど。

国民の期待と公約を裏切りつづけて視聴率急降下の民主党鳩山政権…。
鳩山首相自身がこうもいってました。

鳩山由紀夫「国民の支持が得られないのなら、それでも国民をだまし、各種団体を恫喝し、締め上げ、多数を維持できる選挙制度にしようとして生まれたのが非拘束名簿式選挙制度ではありませんか。国民を軽視し、侮辱する、与党というには余りにも情けない姿勢ではないでしょうか」(2000年11月20日 森内閣不信任決議案 提案理由)

党のホームページの方 にもあるので、「個人の意見であって党の…」ってことはないと思います(苦笑)

政治をこころざすスポーツ選手の思いはそれぞれだろうけど、その名前を利用しようとしている政党の側の思惑はものすごくいやらしい。
こんなアンフェアな制度にしがみついて政権を延命しようってのは「与党というには余りにも情けない姿勢ではないでしょうか」

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昨日未明、元女優の…

友人の寺岡泉美んトコに赤ちゃんが生まれました!!

ひゃー、なんというか…。
自分とこが一回でも経験してると、「子どもが生まれる」って、何て明るくて、ほっとして、幸福感のあるニュースなんだろうと実感する。

一方、テレビや新聞なんかは、死ぬニュースばっかで、こういう幸福感に水を差す。
どっかのテレビ局がやんないですかね、「ハロー・ベイビー・ニュース」。
ウチもそうだったし、寺岡んトコもそうだったろうけど、人が生まれて、親がいろいろ考えて名前をつけたりするのってすごく「素敵なニュース」じゃないかと思う。
そればっかりとりあげるニュース番組。

「先週◆◆日××時××分、東京都○○さん方に女の子が生まれました。
体重は★★グラムで、平均を500グラム以上上回るたくましい赤ちゃん。
泣き声があまりに力強く、立会い出産で気を失いかけていたパパもその声で目を覚ましたそうです。
名前は△△ちゃんにきまりました。
考えたのはママのほうで、パパの提案との間で審議は難航しました。
しかし、最終的には両方の名前で呼んでみて、ママの『△△ちゃん』の声ににっこり笑ったのが決め手になったとか。
敗れたパパの方は、『名前では負けたけれど、将来の女性像としてはぼくの理想の女優の□□さんのようになってほしい』と語りました。
△△ちゃんとご両親、どうぞお幸せに。」
…とか(まったくの創作ですが)。

深夜の5分ぐらいの帯なんかにぴったり!!
ぼくは見たいけどな。
(局の方、採用の際にはご連絡ください)

ともあれ、寺岡、ベビちゃん、夫さん、おめでとう!!

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「エコカー」はエコロジーか?

「買い替えるエコ、『エコ替え』」なるCMが気になっていた。
んなわけねぇだろ、と思ってググッてみたところ、Youichi Mizunoさんの「自転車はエコ」(「伊勢本街道を走る」)というページで興味深い計算をしているのを発見。

「エコ替え」は、燃費、すなわち走行距離あたりのガソリン燃焼による温暖化ガス削減をもちあげているけれど、そもそも新しい自動車には製造・流通過程で大量の温暖化ガスが排出されている。
「自転車はエコ」では、いったいどれぐらい走れば、走行時の温暖化ガス削減分で、製造に必要な温暖化ガス排出分の埋め合わせができるのか、という計算をしている。
1,500cc クラスの自動車では実に5万km。
「自転車はエコ」からリンクしている社団法人・日本自動車工業会によると、1台の車の「生涯走行距離」は10万kmとなっているので、半生を生きてやっと前世の罪滅ぼしができるというレベルのようだ。

しかし残念ながら「自転車はエコ」で計算に入っていない部分が大きく、結果としてかなりの過小評価になっていると思われる。