製作の具体的な作業にかけるエネルギーだけでなく、彼の頭の中にあった奇妙キテレツな発想そのものに不思議なものを感じた。
しかし、高校生の当時は予算も技量もかぎられているので、できあがった現先輩の作品は、悲しいほどに中途半端なものだった。
はっきりいって、できあがった作品より、つくる過程で現先輩の話から頭の中でイメージしていたものの方がよっぽど楽しかった。
10数年前に連絡とったときには、当時かなりインパクトのあったCMの名前をあげて「あれのアシスタントとかやってるんだよね」と話していた。
「けっこうつらぬいてるでしょ?」みたいなことをいってて、感心と羨望を同時に感じたのをおぼえている。
で、ことしに入ってふとしたきっかけで、「関口現」の名前でWeb検索かけると、この作品を製作中という情報にヒット。
「ここまできたか!!」と文字通りのショックをうけた。
ぼくはといえば、いま新しい仕事をはじめて1年半。
まだまだ「はじめてのJava」だの「データベース入門」といった本を勉強する毎日。
まさにその世界の入り口に立ったばかりの役立たずだ。
一方で、ちょっと上…誕生日でいうと半年もかわらない現先輩は、ついに映画監督という一角のところに登りつめた。
ため息が出ないわけがない。
以前、「きょうの前むき一言」で紹介した、「だれしも友人が傷ついたときには共感できる。しかし友人が成功したときに共感するには、高い資質が要求される」という言葉が胸につきささる。
ごもっとも。私は資質の低い人間です――そういうショックも。
さて、作品そのものについて。
大勢の登場人物が、ごく単純なストーリーを背負っていて、それが全体として複雑に交錯して、なぜかごく単純なラストシーンにたどり着く。
ストーリーが映画の全体像をつくるというより、映像的にも音楽的にも印象的なフレーズで積みかさねられるエピソードの一つひとつが結果としてひとつの映画を構成する、というような。
CM的手法の真骨頂とでもいうところか。
しかし、ごく個人的な印象でいえば、冒頭で書いたように「楽しい気分になれる」映画である。
それはこの映画が、高校生のときのぼくの頭の中にあった「こういう映画をつくろう」の具現だったからだ。
(それが自分で考えたものだったか、現先輩が説明してくれたものだったかの記憶はあいまいだが。)
エッチで、破壊的で、脈絡がなくて、でも映像的にかっこよくて、落としどころでじわんと感動させる…ぶっちゃけ、ぼくらだけでなく、高校から大学にかけてみたたくさんの自主映画はどれもそんな要素をはらんだ映画ばかりだった。
なかでも、現先輩と共有した時間と記憶をもっているぼくには、本当に懐かしさを感じる映画だった。
しかし、映画監督をめざす者の発想のところでは似たようなものであっても、その若き日の発想を「くだらない」で終わらせず、仕事としてこだわり、たくさんの技術と人脈を積みかさねることを継続し、最後まで具現化する、というのは簡単ではないだろう。
この映画が、これまでの日本映画にないといわれるのは、そういうことだと思う。
いまのただの映画ファンであるぼくにとってはどうでもいい映画だけど、高校生のぼくらが撮りたいと思っていた映像を見事に具現化した特別の映画。
現先輩はぼくらの夢を実現してくれた、と感じた。
そういう意味では、「おめでとう」とともに「ありがとう」といいたい。
これは現先輩は知るところではないが、去年、高校時代の映画部のもう一人の友人と会って話をしたときに、ある映画が話題になった。
その映画、アメフトものの「リプレイスメント」の挿入歌と、この映画の挿入歌が同じ曲だったという偶然の一致。
その曲は「I Will Survive」。
この不思議なめぐり合わせ。
なんだか、高校生のときのなんにでも燃えていたあの血が騒ぐ感覚がよび起こされる。
ショックを受けている場合ではない! I WILL SURVIVE!!