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* Diary *

中学ンときの同窓会

きのう、成人式以来、約 16 年ぶりで中学ンときの同級生たちが集まった。

会場に入るなりすぐに「よおっ!」とわかる懐かしい顔もあるけれど、ほとんどの顔は「どっかでみたような…」の連想ゲームでモジモジとした時間が過ぎる。
おたがい正体のバレた、つきあいの濃かった連中同士がだんだんと集まって、あちらこちらに話の花を咲かせはじめる。
そして、あっという間に 20 年余の隔たりを飛びこえる。

まず最初に思い出すのが、「いまの生活に何か役に立っているのか!」、というバカ話ばかり。
教頭先生がぼくらのつくった落とし穴にハマッたこと、冬のプールの底に沈んでいた不気味な物体の正体が 1 週間ほど前の給食に出たガンモドキだったこと…テニス部の連中といっしょに、それこそ数年ぶりに死にそうになるほど笑いころげた。

不思議なもので、バカ話で豪快に笑い、初恋の人の笑顔に胸をときめかせたりしていると、まるで脳の眠っていた部分がめざめたかのように、ある瞬間から突然に、目に飛びこんでくる顔につづいて名前…というより、あだ名がぽんと出てくるようになる。
いや、人間の脳ってすごいよ。

――唐突だが、ここでお詫びを一言。
幸か不幸かこの文章を読んでくれた同席の方々、とくに女性陣の多くに謝らなければならない。
ぼくの場合、とうとう名前を思い出すことができなかったのは、圧倒的に高い確率で女性だった。
ほんと、申しわけない。
今度、実家に帰ったときには、卒業アルバムを引っぱり出して確認作業をするので、マジ、許して。
ただし、これには、ぼくが男子高校出身だというやむにやまれぬ事情があるのをご理解いただきたい。
大学のときに当時のカノジョからはじめて聞いたのが、共学の高校では、男子と女子の間の名前の呼び方が、男女共通、苗字呼び捨ての「おーいっ! ○○っ!!」から、男子の「なぁ、○○さん」、もしくは女子の「ね、ね、○○くん」へ、と実に有意義かつ、ドラマチックで胸キュン(死語)な変化をとげる一時期が存在するという事実。
このエピソードを聞いたときには、なんかすごく大切な落とし物をしてきてしまったようなショックをうけた。
そしてやはり今回の同窓会で同根の問題を感じざるをえなかった。
逆ギレ的にいわせてもらえば「だって中学ンとき、女子は化粧してなかったじゃん!」であり、要は変化についていけない落ちこぼれである。
同じ高校のヨ○メ○が舞い上がっていたのもきっと同じ根拠に違いない。

さて、しばしの余韻にひたりながら、交わした会話を思い出して気づいたのは、「変わんないなぁ…」がまるで、きまったあいさつのように飛びかったことだ。
「アイツは変わったよ」や「お前、変わったな」という言葉が一般的にほめ言葉には聞こえないとか、「みんなすっかり変わってたら同窓会になんねぇよ」とか…イチャモンをつけるつもりはないのだが。

「変わんないなぁ」が前提になって気心の知れた会話が始まるけど、その結論としてはいい意味で「変わったね」っていいたいと思う、ぼくは。
比較的じっくり話した人には、「会社起こすなんて、すげえなぁ」とか「中学ン時の夢をつらぬいててカッコいいよ」とか「けっこう世の中のこと真剣に考えてるじゃん」とか思ったもんね、なるべく口でもいったつもりだけど。

損得勘定ぬきにそういうこといえるのって、中学か高校ぐらいの同級生ぐらいだと思う。
別に、それ以降でもそういう友人がいないこともないけど、そりゃやっぱり特別な親友だし。
同級生のそういう姿は、鏡のように、自分も多少なりとも進歩してんのかなって、ポジティブに再確認できるのもいいところ。
(ま、種が芽を出し花を咲かせるのを、日本語では「変わる」とはいわないからいいのか、別に。)

なんか同窓会って、すげぇ血中アドレナリン急上昇の上に、癒し効果抜群。
意外な効果があってよかった。
幹事のみなさんには「ごくろうさん」、マジで。
クラスとか部活とか、小さい単位でもいいから、またやりたいな。

中学の同級生以外で、これを読んでくれたみなさんにもおすすめ。
地元の友人に電話するべし。

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