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「チルソクの夏」

チルソクの夏 特別版 [DVD]

なんかね、とっても「青春映画」でした。
主役の高校生たちが陸上部にしても、むやみやたらに走ってるシーンが多いし、いかにも初恋の胸キュンなお話だし。
けなそうと思えば「青臭い映画」ってことになるだろうけど、その若さゆえの正義感やエネルギーにケチをつけるような「枯れたオヤジ」にはなりたくない。

山口県下関の陸上部の女子高校生の友人たちが、韓国・釜山へ交流陸上競技大会に出かける。
宿舎での夜、韓国の選手の一人安大豪(アン・テイホウ)が、下関の女子高校生、郁子(いくこ)に、恋心をうちあける。
「また来年の七夕(韓国語でチルソクというそうです)会おう」、と。
そして二人の文通と恋を中心にドラマはすすんでいく…。

じつは、紹介するタイミングをはずしたと思って、棚上げしていたのだが、「七夕」を前後して、地元下関をはじめ、地方での上映がスタート。
東京では、なかなか異例のリバイバル上映がきまった。
こういう地味(失礼?)だがいい映画が、息長く上映されるのはファンとして、実にうれしい。

おたがいの競技技術と勉強を励ましあい、文化と言葉の違いをのりこえて恋を実らせようとする二人。
しかし、双方の両親たちはいい思いをしない。
「韓国人との文通はやめろ」、「日本人とはつきあうな」と。
映画のなかでは、日本人の側が韓国人を悪く思うのには特別な根拠がないこと、逆に韓国人の側、アンのおじは、日本兵に殺された「理由」あるものであることをつきつける。

また、海底の関門トンネルの中に引かれた山口県と福岡県の県境を示す白い線をまたいで、アンと郁子の二人がむかいあい、アンが「38度線もこんなふうにまたげたらいいのに。…ぼくはそれを実現するための仕事につきたい」と語るシーンがある。
このセリフは、日本と韓国の間にある「境」も意味しているように思えた。
その「境」をつくった責任が、アンと郁子にあるわけじゃない。

先日、北朝鮮による拉致の被害者、蓮池さん夫妻の子どもたちが北朝鮮から日本にやってきて、「家族で『冬のソナタ』を見た」という新聞記事を読んで、胸が熱くなる思いがした。
日本と北朝鮮に別れていた家族を韓国のドラマが仲介したというのだから。
3つの国の、とくに市井の人の間に深い共鳴をいだかせる「お隣さん感覚」があることは、けっして忘れてはいけない大切なことのように思う。
ジョン・レノンの「Imagine」の「国(という境目)がないのを想像してごらん」という問いかけが自然に頭に浮かぶ。

先日の日朝首脳会談では、小泉首相が話し合いを基本にして問題解決にのぞみ、困っている「お隣さん」に人道援助の約束をしたことは自然なことだと思うし、ぼくは全体として支持している。
北朝鮮の政権を武力的に打倒することを至上命題にした好戦勢力が、北朝鮮への援助を「屈辱」とする一方で、憲法をふみやぶるイラクへの自衛隊派兵や多国籍軍参加などを「人道援助だからOK」などと二枚舌をつかうのはあまりに稚拙な議論だ。
(まあ、小泉首相自身が、金正日氏にたいしては「武力=核兵器をふやしては国際社会から理解されない」と説得しながら、イラクにたいしてはブッシュといっしょに武力をふりかざすという矛盾があるので、ややこしいのだが…。)

…と、複雑な現実のなかに厳然として存在する太い「境」。
もちろん、「薄れつつあることは悪いことではないが、単に自然に薄れていくだけでいいのかと考えなくてはいけない線」、「線というよりは壁といっていいほどに立ちふさがり、なんとか解決しなくてはいけない線」と、いろいろだ。
この映画も、はたしてもう一方の当事者である韓国の人が見たらどう思うだろうと、考えてしまう。

しかし、おたがいが自由に恋ができるほどの関係をきずいていくためには、市井の中のつながりを望むエネルギーと正義感、行動力なのではないか…と考えずにはいられない。

いや、多くの人に考えてほしい。
曇りのない目で、まっすぐ前をむいて、長い道のりを走っていた、映画のなかの高校生たちの姿を見て。

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