「チルソクの夏」、「カーテンコール」と、自分のピントにぴったりだった佐々部清監督作品ということで楽しみに出かけた。
多量の爆薬を積み、人間が操縦して敵艦船に体当たりするという人間魚雷、回天。
戦争に行く意味、敵を殺す意味、自分の死の意味…それを考えつづけた学徒兵たちの葛藤が全体を覆う。
回天を敵艦船のそばまで運ぶ潜水艦と、人一人がやっと座れる回天内部が映画の主要な場面となり、精神的にも肉体的にも「出口のない」状況を描く。
生きて帰ることになっても、「(お国のために)死ねなかった」という残酷な後悔をひきずるという出口のなさ…。
靖国史観派の人たちは、戦争を反省することを自虐というが、戦争ゆえに引き起こされたこの「生きていることへの自虐」をどう説明するのか。
主人公たち個人の葛藤が問題なのではない。
戦争というシステムが彼らをそこに追いこんだというメッセージが大事だ。
激しい応戦があるわけではないし、血が出るとか、手足がふっ飛ぶとかいう視覚的・肉体的な苦痛もないので、戦争映画としては淡々としているかもしれない。
しかし、ずっしりと心にのしかかる映画だ。
翌日、妙に腹筋や太ももが筋肉痛で、きっと映画館の座席でふんばってしまっていたのだろう。
市川海老蔵さんが演じた主役の並木浩二は、甲子園にも出場した大学野球のピッチャー。
戦争が切り裂いた若者の夢として野球を選んだのは「出来すぎ」と思うかもしれない。
しかし、実際にそんな青年がいたのだ。