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「草の乱」

草の乱 [DVD]

「やむにやまれぬ思いで立ち上がる男たち」――ロードショー翌日の9月5日に「草の乱」を見たら、そのさらに翌日9月6日の夜のニュースをにぎわせたのは、プロ野球の選手会が球団合併の凍結などをもとめてストをおこなうことを決定した、というものだった。

「草の乱」は、1884年、増税と生糸価格の暴落で劇的な生活悪化においやられた養蚕農民たちが「圧制を変じて良政に改め、自由の世界として人民を安楽ならしむべし」(田中千弥「秩父暴動雑録」より)と立ち上がった「秩父事件」を描く。
当時においても非合法だった、いわば暴力革命という手段をとったことで、平等と正義の理想に燃えてたたかった指導者たちのほとんどが死刑となり、当時の政府が波及をおそれて「暴動」と評価したことで、秩父事件は暗い一事件として歴史上あつかわれてきた。

しかし、描かれている当時の状況は、農民の困窮につけこんで暴利をむさぼる高利貸しが裁判所を買収し、役所も「個人の貸し借りは相手にできん」とつっぱね、国会はまだ開設されず、「民の声を国会に」と期待された板垣退助の自由党も解党寸前…。
彼らの蜂起は、まさにやむにやまれぬ最後の手段。
そのことを決意しなければならない農民たちの苦悩も描かれる。

テレビのニュースでは選手会の決定にたいして、球場のスタンドに座っているファンの一人が「ストはどちらかといえば反対。ほかの手段はないのか?」というようなことをコメントしていた。
それがたとえ善意から出た言葉であったとしても、そこには「選手会はいままでも最善を尽くしてはいない」「安易な方法だ」とか、「選手は、野球さえやっていればいい」「球団運営に物申す権利はない」という思いや考え方が反映しているのではないか、とぼくは思う。

選手会側は協議の機会をつくることを再三要求してきた。
しかし、ナベツネの「たかが選手が…」といった発言に象徴的にあられわたように、オーナー側は聞きいれなかった。
「史上初」のストにいたる決定的な要素となったのだろう。
まして「プロ野球選手の立場は労働者」という国会で決着済みの問題、選手会が「労働組合」として認めれているという事実にたった、合法的な手段(くわしくは「全国労働組合総連合 : 事務局長談話「プロ野球選手会のストライキを断固支持する」)でもある。

そして何より、この最後の手段を行使せずにいちばんよろこぶのは、球団再編・1リーグ化推進をすすめているオーナーたちなのだ。
「ストをやりたくてやるわけではない」――古田選手をはじめ多くの選手が語る「やむにやまれぬ」決意。
その勇気に拍手を送りたい。

そして、選手会の行動と「草の乱」から、考えてほしい。
残業がまともに払われない、有給休暇をとるのが気がひける、しかも会社にものをいってくれる組合もない…などの状況にあって「やむにやまれぬ」決意をためらってはいないか、と。
小泉首相をはじめとした選手会のストを批判する論陣のなかには、ストが国民のなかにひろがる不満に火をつけ、決起をよびさましかねない状況に恐々とする思いが見えかくれしているような気がしてならない。

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